【号外】フリーセル初の海外拠点、海外現地法人「フリーセルベトナム」設立のお知らせ ~法人設立パーティーを終え、設立経緯や今後の展開のことなど~

投稿者:小川 悟

2012/03/25 13:46

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どんな国のどんな空港でも、初めて降り立った空港の建物を出る時は緊張する。その向こうにどんな街が広がっているのか、どんな出来事が待っているのかを思って緊張するのだ。

それを「期待」と言ってもいいし、「不安」と言ってもいい。

/『一号線を北上せよ ヴェトナム街道編』(沢木耕太郎著)

 

今月3月6日、進出コンサルティングを受けていた現地企業のご担当者様から、ベトナムにおけるライセンス(事業認可)が下りた連絡を受けました。

英語表記で「FREESALE VIETNAM CO., LTD.」です。以後どうぞ宜しくお願い致します。

 

それまで駐在員事務所として機能していた、まだ真新しいオフィスで私は思わず「やっと取れたよ!」と、お送り頂いた証書のPDFデータをプリントアウトして現地スタッフに向かって叫んでしまいました。スタッフからも「良かったですね!」と笑顔で元気の良い返事をもらいました。

日本で普通に勤務している中では味わえない企業誕生の貴重な瞬間に立ち会った気持ちで、オフィス内がいつも以上に明るい雰囲気に包まれた瞬間でした。

 

 

日系企業がベトナムで事業を行うためには、共通投資法と統一企業法という法律に定められた手続きが必要です。投資分野(進出事業)によって優遇税制が受けられたり、逆に投資規制があったりします。

現在はICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)やハイテク分野等への投資を国が推奨している時期で、当社の投資分野においても関連分野ということで、他の業種よりは恵まれた環境にあったということですが、現地に駐在しながら認可が下りるのを待つ身となると、いてもたってもいられない気分が続いていたので大変嬉しく感じたものでした。

 

詳しくは以下をご参照下さい。

■ジェトロ – 日本貿易振興機構(ベトナム)
http://www.jetro.go.jp/world/asia/vn/
cf.ズン首相「外資誘致は鉄鋼ではなくハイテクを」(「Vietnam Foreign Press Center」,2011年12月16日)
http://www.presscenter.org.vn/jp/content/view/2485/27/

 

 

この動きに合わせて、当社でもニュースリリースを発表しました。

早速、現地の有名新聞社2紙をはじめ、ニュース媒体社様から取材を受け、ありがたいと思います。

 

■ベトナム現地法人設立のお知らせ(2012年3月16日)
http://www.freesale.co.jp/news/ir/post-35.html

 

設立と同時に私が代表者に就任致しましたが、法人設立に際しご協力頂いた皆様に、この場を借りて改めて厚くお礼申し上げます。

 

また、23日(金)には、ベトナム現地オフィスに程近い日系レストランの一部を貸し切り、当社進出にあたりお世話になった方々をお招きし、ささやかながらパーティーを開催致しました。

当日スピーチをさせて頂きましたが、本当にいろいろな方に支えられて今回の事を成し得たのだなと痛感致しました。お忙しい中、ご足労頂きました皆様、お花を頂きました皆様、本当にありがとうございました。

 

■2012年3月23日(金)、フリーセルベトナム法人設立パーティー時の様子

 

20120323_OCP.JPG

 

 

当社ベトナム進出の主旨は上記リリースに全てまとめられていますが、今回のコラムではもう少しリアリティのある体験談や今後の展望を中心にお伝えできればと思います。

 

私が初めてベトナムに訪れたのは、2009年2月のことでした。
以下のコラムでそのときのことについて書いたことがありました。

 

■ベトナムIT企業視察等で感じた、多様性の受容と異文化コミュニケーションの重要性 ~ “ビジネスマン” 白洲次郎の「プリンシプル」を貫く生き方を目指せ~(2009年2月28日)
http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2009/02/post-26.html
cf.
■中小・ベンチャー企業も注目するASEAN市場 ~アジアビジネス関連セミナーや、ベトナム出張を通じて~(2011年7月30日)
http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2011/07/post-63.html
■カントリーリスクを踏まえ、ベトナム投資・進出時にチェックしておきたい工業団地、ハイテクパーク、ソフトウェアシティのご紹介 ~上半期総会を終え、「自己成長のためには新たな環境に自ら身を置くことが一番早い!」と感じた海外出張記~(2011年10月31日)
http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2011/10/post-71.html

 

その後、計5回の短期出張を経て、11月下旬より、ほぼ常駐のような形で現地赴任しておりました。

これらの出張の中で、多くの方と出会い、進出のお声掛けを頂いたというのが直接の進出のきっかけでもありましたが、実は当社と「ベトナム」との出会いはさらにさかのぼり、2006年のことになります。

 

 

現在でこそ、私の見ているCS本部も総勢90名近くの組織となりましたが、当時2006年4月(第6期)は当社が急激な成長をし始めた頃で、私が見ていたCS(Customer Support)課と、別組織だった制作課(現制作部)を統合する形でCS本部の前身だったCS(Customer Satisfaction)部が創設され、まだまだ経験不足だった私をCS部長としてアサイン頂いた月でした。それでも現在の半分以下の40名体制でした。

 

翌5月に、当社旧CS部でベトナム人派遣スタッフの受け入れを行いました。初めての外国人派遣スタッフの受け入れ――、本人は日本語を話し、Web制作のスキルもあり、当社スタッフも仲間意識が強かったため、業務遂行上のコミュニケーションや成果物の品質について大きな問題は起こりませんでしたが、同時にどうしても日本人とは同じになり切らない多様性を組織として初めて体験、学んだときでもありました。

 

新生CS部において、多様性のマネジメントの学習や、ちょっとしたマーケティングの意味での試験的な1年間だけの受け入れ期間でしたが、そこを契機としてベトナムにある日系企業との取引が始まっていきました。

 

また、実はその本人は当社を離れた後、5年間程を日本のIT企業数社を渡り歩き日本語とWeb制作スキルを高めていましたが、今年ベトナムに帰国する理由があり、本人の希望でフリーセルベトナム設立と同時にスターティングメンバーとして参画することとなり、稼働初日から本社から文句なしの最高評価を受け、心強い戦力となっています。

 

とは言え、今に至るまでの間に、多くの同業者同様に当社でも国民性や商習慣の違い等、様々な課題に直面して苦しい思いもたくさんしました。

 

 

私の父(ギリギリ戦中派に含まれる世代)が小さな町工場を経営していた関係で、バブルが崩壊した私の中学時代から、新聞に「産業空洞化」の活字が大きく見出しに書かれる度に特段興味のなかった製造業界の現況を聞かされたり、「社会科見学」だの、「自分の小・中学時代は丁稚奉公が当たり前だった」だという理解不能かつ不条理な口実で実際に工場に連れていかれプレス機械の操作をさせられ、夏休みのほとんどを父の手伝いのために弁当持参で職場で過ごしたり、家でも納期が迫る不良部品のふるい分けの仕事を母や姉たちと一緒になって内職として手伝わされたりしたものでした。

学生時代には中国に進出していた某大手電機メーカーの工場を視察する機会を得、父が所属していた地元の会の会報誌に学生視察代表として記事を寄稿して掲載頂いたこともあり、そうしたことなどをきっかけに趣味の上でも工場見学をすることが好きになっていったものでしたが、同時に本音としてはそうした険しい道を避けたく、就活期にはまだ黎明期で華々しく見えたIT業界への進路を選択していました。

 

しかし、いざ自分自身が当事者として生産管理者になってみると、業種は違えども「ものづくり」界における先輩業種が今までにぶつかり解決してきた課題のスケールの大きさや、イノベーションを極めたノウハウや精度の高さに改めて圧倒されたものでした。

他業界に比べ未成熟と言われ続け、都度ポジショントークで否定し続けてきたWeb業界特有の甘さですが、そうした過去の体験の中で身を持って痛感し、何とか質を引き上げていきたい気持ちに駆られていきました。

何の因果か分かりませんが、結局私は自身が避けてきた筈の険しい道を、再び歩まなくてはならない立場になりました。今はただ、この現実をしっかりと受け止めて、初心に返ったつもりでひたむきに頑張る時期だと考え、任された組織と関係者との共存共栄を目指して努力していきます。

 

 

ベトナムにある日系企業との商流が日増しに大きくなっていった当時、私が各ラインの管理者に落とした指示の内容は「発注先チームのスタッフを、自部署の部下、スタッフだと思ってマネジメントして欲しい」ということだけでした。

私はもとより各管理者も初めてのことばかりでしたが、愚直に業務を遂行、改善をし続け、遠隔マネジメントにおけるガイドライン共有やチェック体制、教育、評価、リスクマネジメント等で試行錯誤してアウトソーシングのノウハウを溜めていきました。

 

また、今回の当社ベトナム進出にあたり、お取引先の1社から一部事業譲渡のご提案を頂き、当社業務を担当してくれていたチームをそのままスターティングメンバーとして譲り受けました。

 

■法人設立パーティー時に、当社FVNスタッフで記念撮影をしました。

 

startstaff.jpg

 

何もかもが初めての当社海外進出ではありましたが、当然勝算の見込みを減らす無計画な進出というわけではなく、近い将来、組織の核となってゆく野心の強いスターティングメンバー全員が、当社既存スタッフのよく知る数年来のパートナーであったスタッフだけで構成された組織となっており、業務フローや品質基準に対しての理解もあり、コミュニケーション面でも業務遂行面でも一切の問題がありません。

 

「ベトナム(人)だから」というオフショア開発の入口にある初歩的な課題は当初からなく、日本市場で求められる品質基準を前提として、ベトナム国内向け・海外向けといったグローバルスタンダードも学びつつ、よりスピーディーにしっかりとした組織を構築・拡大していき、本社CS本部との連携を強めて大きなシナジー、付加価値を生み出していくことが設立初年度の大枠の目標です。

 

 

話が前後しますが、なぜ当社がこうした組織をベトナムに作らなければならなかったか――。

 

先の当社ニュースリリースに概要がありますが、2005年以降、当社では「中小・ベンチャー企業向けWebコンサルティング」を推進し、お蔭さまで現在では運用させて頂いている企業数が5000社近くにのぼります。

当時はまだ「Webコンサルティング」や「Webコンサルタント」についての概念も出始めで、同業界に大きな事例も多くはありませんでした。

 

当社のお客様となられる企業様は業種も多岐に渡りますが、多くの企業様で、社内に専属のWeb担当者を置いて自社のWeb戦略を推進するという体制はお持ちではなく、そのトレンドはこれだけWeb戦略の重要性が高らかに謳われるようになっても大きく変化はしていません。

 

当然ながらお客様には本業があり、Web戦略が重要だと分かっていても、Webサイトの制作はもとより、ディレクションや改善業務、SEO対策やアクセス解析、インターネット広告の運用管理を一元で行う担当者を雇用するためには採用コストや人件費面で課題があることはもちろんのこと、Web担当者への教育やキャリアパス提供面でも、また間接部門の担当者に兼務させるにしても本業推進上で難しいことの現れであると感じています。

大手・中堅企業であれば、社内に専属のスペシャリストを置き、子会社にWebサイトの運用やマーケティング、広告宣伝の機能を持たせ、さらに外部のコンサル企業や広告代理店等と連携してうまく回していると思いますが、私たちのサービスを導入頂ける企業様はもっとかける予算を少なくしたいと考えていますし、実際に受託側も、少ない予算でワンストップで請けて運用管理と提案を続けていくというのは難しいと思いますので、発注先が細分化されてしまい、そのために発注側もコストを最小化するために、ある種運命的な出会いに期待しつつ安価な制作会社を乗り換えながら運用していかざるを得ない状況にあったと思います。

そうした業界特有の市場構造に着目して目指したのが、当社の「Webコンサルタント」体制でした。

 

新規のドメイン取得・サーバホスティングから始まり、Webサイトの構築(ライターは専属)、納品後のサイト運営、インターネット広告出稿代行及び運用管理業務等、他にも、Webサイトの運用は納品後、専用の電話・メール窓口機能を持ったコンタクトセンターに移管され、ここでは機械的ではなく一人ひとりのお客様を考えたホスピタリティある対応を心掛けています。

また、全5000サイト近くのサーバ稼働状況監視、タイムリーなアクセス解析やSEOトレンドに対する対応をおこないながら、Yahoo! Japan、Googleでの検索結果順位を一元管理し、Webサイトごとの状況に応じてアウトバウンドチームが改善策をまとめてお客様への提案資料作成とアウトバウンドコールをおこない、制作チームが修正を行いお客様へ完了報告を入れます。

 

その他、各種ブラウザやプログラム、プラグインの仕様変更への対応に始まり、マルチデバイス・マルチプラットフォーム対応と、昨今のグローバル化に伴う多言語対応といったWebマーケティングの複雑化への対応等――、「ご契約頂ければ、必ず投資した以上の見返りがあります」という類のサービスではありませんので全てのお客様のご期待に沿えているわけではございませんが、うまく役割と責任を切り分けた関係構築をできているお客様から順に成果を挙げられている企業様も増えてきており、予算を引き上げる代わりにより大きな結果をご期待頂くケースも増え、一層の受け入れ体制の強化が求められてきています。

 

お客様の現場にいないとできない業務と遠隔でもおこなえる業務、本社でしかできない業務と沖縄で可能な業務とベトナムで可能な業務といったように、本部内で役割・機能の切り分けが進んでいきました。

こうして構築してきたサービスのエントリープランの月々の運用コストをオペレーターのアルバイト1人月の20分の1くらいに抑え続けながら事業継続、サービス向上、社内環境改善に取り組んでいくことは決して楽なことではありませんでした。

 

以上のようなことは、PDCAサイクルを回す上で当然と言えば当然の流れかもしれませんが、お客様に跳ね返ってしまうコストを上昇させることのないムダのない生産ラインの構築と、全スタッフの分析力・制作スキルの向上や一部機能自動化による業務効率化が求められました。

本社側で労働集約と知的生産の双方の機能を内制化してより上流工程に磨きをかける一方で、フリーセルベトナムはその生産ラインの一部を担うことを当初の目的として設立致しました。

 

当社代表の木村が、前回コラム( http://www.web-consultants.jp/column/kimura/2012/02/post-39.html )にも書いていますが、まさに投資です。

今回のベトナム進出は、当社の企業成長フェーズに見合った必要に迫られて、あるいは当社ビジョンの実現に向けて将来を見据えておこなった投資です。

私の見ているCS本部もこの6年間の間に40名体制が90名体制となり、その間、会社として採用コストや教育費を含めた人件費増やサービスコスト増を含めた投資がおこなわれて成長してきました。

 

現在では、以下「顧客満足度調査」結果にもありますように、お客様からも良い評価を多く頂けるようになりました。

今後は、本社のさらなる提供サービスレベル向上のスピードを上げていくためにもフリーセルベトナムの拡張を急ぎ、サービス部門の責任者として確信を持って次のステップを目指す所存です。


■サイト納品時顧客満足度アンケート
http://www.freesale.co.jp/enquete/
cf.顧客満足度調査結果
http://www.freesale.co.jp/service/customer.html

 

今に至るまでの経緯を当事者として体験してきた経験から思うことは、当社と全く同じ課題にぶつかっている同業他社はそこまで多くはないと考えています。

その現れとしてか、SIerやシステム開発会社などは既に多数進出されていますが、WebインテグレーションやWebコンサルティングを専門とする分野で、当社と同じような目的で生産拠点をベトナムや他のASEAN地域にも構える企業をまだあまり多くは知りません。

今まで私が生産現場における当事者として経緯を見てきた観点から考えられる理由として、発注単価などの業界構造上の問題でコストメリットを生かせなかったり、そもそも事業ドメイン的に国内リソースで足りてしまうことがあるからではないかと考えています。

同業界における課題先進企業としての社会的責任も感じながら、非常に有意義な気持ちでスタートを切れたことは恵まれた環境にあるとも感じています。

 

もちろん、ベトナム進出を機に多くの出会いもあり、ベトナム国内でのお付き合いも幾つか始まって参りました。

今後、当社お客様の中やこれからお客様となられる企業様の中からも、ベトナム進出をご検討されるところも増えてくるかもしれません。

そうしたお客様へ向けたサービスも早々に確立して参りたいと思います。

 

 

当社第11期最後を締めくくる3月、今期の経営テーマであった「全員アドベンチャー」にふさわしい当社の挑戦ということで、当社初の海外現地法人設立が期内に間に合ったことにつきましては、進出コンサルや手厚いサポートを頂いたお取引先様、社内関係者の皆様に改めて厚くお礼申し上げたいと思います。

 

来期は今期以上に売上・利益を上げて、お客様にも一層のご満足をして頂き、当社スタッフが居心地の良い会社になることに加え、ベトナムでの生産体制強化をやり遂げます。

 

以上、フリーセルベトナムの簡単なご紹介となりましたが、引き続き本社ともどもどうぞ宜しくお願い致します。

 

もしかしたら、誰にも「北上」したいと思う「一号線」はあるのかもしれない。もちろん、それが「三号線」でも「66号線」でもいいし、「南下」や「東上」であってもかまわない。

たぶん、「北上」すべき「一号線」はどこにもある。ここにもあるし、あそこにもある。この国にもあれば、あそこの国にもある。私にもあれば、そう、あなたにもある。

/『一号線を北上せよ ヴェトナム街道編』(沢木耕太郎著)