『許すということは、強さの証だ』ガンジー
投稿者:吉田 亮
2008/01/31 23:15
この記事は約3分で読むことができます。
『許すということは、強さの証だ。』
「非暴力・不服従」を掲げ、その意志を貫き通したインド独立の父、マホトマ・ガンジーの言葉です。
単純に「ガンジー」といった方が良いかもしれませんが、「マホトマ」とは、「偉大なる魂」という意味を持つ彼の尊称です。フルネームはモハンダス・カラムチャンド・ガンディーと言います。
彼くらいの思想の持ち主である歴史人であれば、「ノーベル平和賞」は当然だと思われるかもしれませんが、候補に挙がった5回、彼はその全てを自ら断っています。
本来、経営には主従関係があります。
簡単に言うと「上司と部下」です。
一般的には、経営者は「強さ」を求められます。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、様々な誤解の中で、とにかく進まなければならないとき、何事も撥ね退けなければならないとき、予想外の失敗が突如訪れたとき、経営者は決断をしなければなりません。
某玩具メーカーが、新型ゲーム機の開発に乗り出したが売り上げがまったく伸びず、100億円以上の赤字を出したとき、経営者はその新型ゲーム機開発の担当だった社員を解雇しませんでした。その後、その担当が元祖「育てゲーム」を爆発的にヒットさせ、社会現象まで引き起こしたのは有名な話です。
これは社長が部下を許した構図です。
しかし、それだけだったのでしょうか。過程だけ聞くと美談で終わってしまいそうですが、そんな簡単な話であるとは思えません。許す許さないの前に、なければならないものがあります。
それは意志です。
何故か。
ガンジーには巨大なる鉄の意志がありました。【ポリシー policy】というよりは、【ウィル will】と言うべきでしょう。
そこには絶対的な意志の強さがありました。だからノーベル賞を断り続けたのです。その賞により、もっと思想を広げるツールに成り得たとしても、それは二の次だったのです。深読みすれば、謙虚であることを美徳としたガンジーは、最大限の自己主張をしていたと言えるのかもしれません。
問題なのは、その意志が相手に伝わるか否かなのです。
汲み取るべき示唆が含まれており、かつ相手がそれを汲み取れるとき、「許す」という行為は意味を持ちます。
こう考えると、相手を許すとは、如何に難しいことであるかがわかります。
何故なら、組織における「許す」とは、相手が汲み取れなければまったく意味がないものだからです。
ひとつの簡単な仕事を、5回も6回も間違え続ける部下を、もし許し続ける上司がいたら、その会社には生産性がないということになります。
良い悪い、強い弱いを決める前に、意志の有無に責任を感じなければなりません。
許すのは強さ。されど強き責任を負う覚悟。
相手のことを思い続ける者だけが、「許す」という行為を許される。。。。。
そんな風に考えるのです。
——————————————————————————