『信用は実に資本であって、商売繁盛の根底である』渋沢栄一

投稿者:吉田 亮

2007/10/31 10:46

この記事は約3分で読むことができます。

信用は実に資本であって、商売繁盛の根底である。』

幕末から大正にかけ、国内初の銀行の設立や養蚕業など、実業家としては勿論、養育院や日本赤十字社などの社会活動にも情熱を燃やし、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が残した言葉です。

徳川慶喜の家臣という経歴を持ちますが、それ以前には、幕府転覆の計画を実行しようとしていた革命家としての側面も持っています。無論、その胸中にあったものは、「日本を正しい方向に向かわせる」、その一心のみであったことは言うまでもありません。孔子の『論語』の精神を貫き、私が知る偉人の中でも、真に清廉潔白を生きた大偉人です。夏目漱石や野口英世にその座を譲り続けてきましたが、次回の1000円札は渋沢先生(あえてこう呼ばせていただきます)であって欲しいと密かに願っています。

渋沢先生は、僭越ながら簡潔に言うのであれば、日本経済システムの基盤を作った方です。

その方が、商売繁盛の根底を『信用』だと言っているのは、非常に興味深いと言えるでしょう。

技術は進歩しました。
情報処理の速度に伴い、経済そのものが『速度化』しました。
それに伴い、あらゆるものがオートメーション化され、人間同士のつながりは軽薄化し形骸化していると言われています。

ビジネスというものを考えるとき、『利益を生み出す』ことは絶対条件です。
ビジネスライク、という言い方をするとき、そのほとんどがヒューマニズムの否定を含むはずです。
戦略にスピード、資本、アイデア、それだけあれば会社が設立できます。
パソコンの前に座っているだけでも利益を創出もできるでしょう。
ここには、もしかしたら信用など必要ないのかもしれません。

では、『現代』は、渋沢先生の思想を超えたのでしょうか。

これを私は真っ向から否定することができます。

これは規模の問題です。

経済とは何か、を語るには私は若輩者ですので控えさせていただきますが、渋沢先生の言う「商売」は国家レベル、歴史レベルの話をしているのです。

商売というものは、基本的にインタラクティブ、相互的でなければなりません。需要と供給があるからこそ、商売は成り立ちます。そしてそのバランスを保ち続けるためには、どうしても必要なものがあります。

それが信用です。

あまりにも物事が複雑化してくると、何事も難しく考えるようになることがあります。周りにある、使用可能なツールが高度なために、まるで商売の仕方まで高度にしなければならない、そんな錯覚に陥ることがあります。

渋沢先生の思考は、常に未来に満ちていました。一過性の事業はひとつもありません。「一発儲けて余生を暮らす」つもりならば、きっと渋沢先生にはできたはずです。

私は渋沢先生の言葉をこう解釈しています。

【経済を支えられるような商売を長く続けるためには、人間同士の仕事でなければ駄目だ】

私はWebサイト、データの塊を制作しています。しかも、システム化されたCMSを扱っています。
しかしよくよく考えてみますと、インプットの段階では、社外ではお客様と、そして社内ではデザイナーやマークアップエンジニアと、人間同士の打ち合わせが制作時間のほとんどを占めています。アウトプットされるモノは、その結果でしかありません。

【ヒューマニズムの再構築】

日々を埋め尽くすデジタルの波の中だからこそ、人間同士の新たな形式が生まれつつある。。。。
そんな風に考えるのです。

——————————————————————————