盗んだバイクで走り出すことは”自由”か?
投稿者:吉田 亮
2009/02/27 17:39
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『自由から生まれる自立の先に在るモノ』
組織で動く時、皆さんは(上司の方も、部下の方も)何を基準にし、何に重きを置いているでしょうか。
藤本のコラムにもあったように、先日、私もリーダーシップ研修に行ってきました。
その中のディスカッションで、入社の同期が、私の管轄にあるチームメンバーのことを「自分から動いてくれるから非常に助かるんだけど、ルール外の動きもするので時々困る」と評す場面がありました。
思わず、自分の打ち出している方針の意外な結果部分に、「なるほど」と頷いてしまったのですが、「自由」と「自立」について、かなり考えさせられる契機になりました。
基本的なチーム長のスタンスとして、私は常に、「自立型の組織へ昇華させる」ことを念頭に置いています。
圧倒的に知識が不足していたり、明らかなる経験不足、チームとしてまとまりがまったくない場合などは、トップダウンで物事を進めますが、これはケースバイケースです。
それでも基本、風潮はかなり自由です。任せます。
基本能力の標準値が高いと判断した場合は、特にそうです。
私が直接に答えを言うことは滅多にありません。
やたらとヒントは出しますが、あくまでもヒントです。気付きにくいヒントもたくさん出します。
答えを出すには、難易度に関係なく、必ず自分で考える必要があるからです。
理屈は単純で、リーダーは勿論、メンバーが自ら考え、自ら行動でき、自ら創造できる組織でなければ、成長が遅く、「リーダーに何かあったとき」、そのチームの動きは極端に落ちます。仮にパフォーマンスが高くても、それだけリスクも高くなります。
同時にこれはメンバーにも言えることで、職責が偏っている場合、「そのメンバーに何かあったとき」、例えリーダーでもその穴を埋めるのは簡単ではありません。
重要なのは、「同じ仕事ができる」ことではないと考えます。個人個人、得意分野も不得意分野もあれば、やり方も違います。
チームの失速を防ぐために必要なことは、穴埋めをする、ことではなく、状況に合わせて臨機応変に考え、動ける、組織であることです。
問題に対するアイデアがひとつしかない場合と、複数ある場合、どちらが「間違う可能性」が低いでしょうか。
自立型の組織は、一人一人がアイデアを持つため、チーム議論が起こります。そこには、研磨された打開策が生まれます。選ばれたアイデアを持つ者が、そのプロジェクトのリーダーになるでしょう。
いつでもリーダーを入れ代われる。
組織が、ひとつの答えだと思っています。
自由を認めなければ、個性に基づく自立性は生まれません。
とは言え、自由を認めたが故に、盗んだバイクで走りだされたり、夜の校舎の窓ガラスを壊して回られても困りますので、ここには一定の、自由が自由であるためのロジックがなければなりません。
ディレクターなら、ある程度わがままであるべきですが、自分が枠外に出たのか出ていないのか、それがわかるくらいの仕組みは必要だと、前述した研修では感じました。
プールのコースロープみたいなものでしょうか。
自由を制限するのではなく、自由の中で、自分の居場所が確認できるもの。
ハミ出すときは、わかってハミ出せ。
ということです。
もちろん、盗んだバイクで走りだしたら、それはもう犯罪です。自由とか、そういう話ではありません。
でも、もし仮に、
「あと10分で友人のところに行かなければ、親友の人生が終わる」
瞬間があったとしましょう。
到底、徒歩では間に合わない、そんな距離だとしたら?
何か策を考えるはずです。
目的のために、手段を考えるはずです。
そして自分の意志でもって行動するはずです。
そこに明確な目的があってこそ、自由は自立を生むと思うのです。
会社で言えば、明確なビジョンと戦略があり、そこに束縛のルールではなく、方向性の見えるルールがあれば、そのチームは自立の源泉を手に入れているはずです。