『何もしないことを恐れよ』本田宗一郎

投稿者:吉田 亮

2008/10/29 11:17

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何もしないことを恐れよ』

世界のホンダ、本田技研工業(HONDA)の創業者、本田宗一郎は、戦後日本を代表する起業家として、数々の名言を残してきましたが、その中でも端的で現場の真理をついているのが、言葉です。彼自身は、起業家と言うよりも、根っからの技術者といって良いと思いますが、

正確には、

「チャレンジでの失敗を恐れるな、何もしないことを恐れよ」

が全文になります。

失敗を恐れるな、という言い方は良くしますが、「何もしないことを恐れよ」とは、如何にも技術者だなーと感嘆してしまうのですが、日々業務の中では、大いに迷うことが無数にあります。

この道を行っていいのか。この道を行っては本当に危険なのか。

誰でも迷うのは当然ですし、何も考えずに突き進むのを勇気とは言いがたい。

ここで問題になるのは、例え失敗したとしても、自分で責任をとる覚悟を決めるかどうか、が焦点になります。
自分で言い出したからには、最後まで責任をとるのが当たり前の話ですが、その代償を考えないというのもそれはそれで問題です。

失敗。

それが「チャレンジ」に対する恐怖です。

では、チャレンジをせず、そこで傍観したときに感じる恐れとは何なのでしょうか?

毎日が事件のように目まぐるしく、かなりの速度で月日が動いている場合、ふと、あまりにも平和な休日を過ごしてしまうと、ちょっと不安になったりしませんか?自分だけではないはずです(いえ、きっとそうです)。

何もしなくていいんだろうか。。。。

動いていることが当然の人にとっては、立ち止まることは恐怖になったりします(するんです)。

物事全てが、と言っても過言ではありませんが、特に技術の世界では進化は大前提、その進化は目に見えて生活に影響を与えます。勿論、ビジネスの中では綺麗 事ばかりは言えませんが、より進歩した状況に行こうとする意志、好奇心、探究心、知識への渇望は、単純に利益と結びついている訳ではありません。

そこを抉ったのが、この言葉の意味のような気がします。

停止を容認してしまうこと。それはつまり、進化を否定しまうこと。
技術者が進化を否定してしまったら、技術とは何だ、という話になるでしょう。

その意志は、単純にどちら側の人間か、という問いにも似ています。

そもそも恐れる場所が違う、ということなのでしょう。

HONDAは、現場で動く技術者の本田宗一郎と、経営を任されていた(会社の判子を渡されていた)藤沢武夫の二大巨頭で進みました。幾度も経営難に陥り、そのたびにレースに参加して持ち直しました。技術と経営の見事な融合、二人ともが、何もしないことを恐れたからこそ、ここまで来れたのかもしれません。

私は恐れをなくしたいと思ったことはありません。
チャレンジするときは当たり前のように恐れを感じます。しかしまた同時に、立ち止ろうと思ったこともありません。

この道を行ったら危険だ、と判断した場合は、別の道を探します。実は通れる道があったのではないかと、少し戻ってみますし、なければ、何処かに迂回路を作れないかと考えます。何もしなければ、当然、何処にも行けはしないので。

恐れは推進力にもなる。。。。。。そんな風に考えるのです。