“世渡り上手”は、本当に世を渡りきれるのか?
投稿者:吉田 亮
2012/09/29 14:07
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『世渡り上手になりたいんですっ。』
先日、とある飲みの席で、社外の知人から、
こんな悩み相談(?)が飛びだしました。
ここまでストレートに、あるべき理想像を語られてしまうと、
「自分、不器用ですから。」と返して流してしまう訳にもいかず、
相談者の他には私も含めて3人いたのですが、
ともかく、みんなで話を聞いてみることにしました。
30分くらいの話を3行にまとめてしまうと、
「要領の悪い自分がとても嫌だ、同期のみんなは要領良くやっていて、出世もしているのに、自分は一生懸命やっても何故か上手くいかない、要領が悪いのはわかっている、でも、実際には自分に足りないものがわからない」
ということのようでした。
羨望なのか嫉妬なのか、その混合なのか、
確かに、
「世渡り上手の人がうらやましい」、
そんな呟きは、巷でも良く聞くことがあります。
その知人の言う「世渡り上手」の定義を問いただしてみると、
①オイシイところしかやらない(雑務をしない)
②口数が多すぎる(うるさい)
③思っていることと違うことを言う(平気で嘘をつく)
④人によって態度が違う
⑤他人を蹴落とす
⑥全体的に軽い
ちょっと個人的なポリシーも入ってると思いますが、
何だか、あまりイメージは良くないようです。
「世渡り上手」という単語自体が、少し否定的なのかもしれません。
しかし。
これを能力値に変換してみると、
①ポイントを明確に捉えている
②コミュニケーション能力が高い
③セルフコントロールができる
④状況判断能力が高い
⑤生存率が高い
⑥人見知りをしない
こうなります。
こうやって切り出すと、
素晴らしい能力を備えていることがわかります。
「世渡り上手」は、
マルチな才能を持っていることが多いのかもしれません。
私も「世渡り上手」について、
それほど深く考察したことはなかったのですが、
ふと、
「世渡り上手は、いつまでも世渡り上手なのだろうか」
という疑問が湧きました。
と同時に、
「いや、それはなさそうだ」
と特に根拠もなく、結論付けました。
感情論である気もしたので、続けてその知人に
「その世渡り上手な人のことは、嫌いなの?」
と訊いてみると、
「人による」
という回答でしたが、その理由は上手く説明できません。
どうやら、
・尊敬できる「世渡り上手」
・何だか気にくわない「世渡り上手」
の2パターンがあるようです。
人間ですので、好き嫌いくらいはあって当然、
単純な人間関係や距離、とも言えますが、
この違いは、簡単に説明できる気がします。
それは、
Give and Take
の関係です。
シビアな意味でのGive and Takeと言うよりは、
この場合は、
損得勘定までいかない信頼関係、と言った方が早いかもしれません。
(信頼と言えば、渋沢先生の出番ですが!)
『要領の悪い人』『世渡り下手(?)な人』は、
その人の個人的な能力の高低に関わらず、
「助けてもらう」ことをあまりしません。
一人でできてしまう人ほど、この傾向は強くなります。
「できてしまう」ので仕方ないのかもしれませんが、
一人でできることというのは、やはり有限です。
逆に言うと、一人でできることしかやらない。
という話にもなります。
その世界はとても狭く、
ビジネス的に言えば、自分の能力をGiveするだけなので、
とても疲れてしまうのです。
この知人は、まさに、そのタイプ。
人二倍の努力はするのですが、何処か一方通行になっている。
「世渡り上手」であろうとなかろうと、
自然な Give and Take
の信頼関係を作ること、これ自体が「世を渡る」ためには、
必要なことであり、それは数の問題ではありません。
世渡りが上手、ではなくてもいいと思います。
例え下手でも、とても強い信頼関係が二つか三つあるだけで、
世界観なんて簡単に変わるものです。
その知人の会社にいる「世渡り上手」が、
どちらなのかはわかりませんでしたが、
Takeしかしようとしない「世渡り上手」は、
必ず何処かで限界が来ます。
何のメリットも刺激もないことが判明してしまえば、
いつか、世を渡れなくなるときが来る気がします。
このような感じの、
なんでもない飲みの席にはあまり似つかわしくない、
ちょっと堅苦しい話にみんな熱くなりつつ、
最後の方は、別の友人が回答を出していました。
「○○の苦手なものってなに?」
「アイデアというか、そういう発想があまりなくて」
「それで困るの?なんでそれが欲しいの?」
「作業が単調で飽きるんです、面白くないというか」
「じゃあ、それを誰かからTakeしよう。心当たりとかある?」
「ええ、何人か」
「それは世渡り上手な人?」
「そうですね、そう思います」
「なるほど、でも、TakeするからにはGiveが必要なんで、○○の得意なものは?」
「え……と、きちんとすること……ですかね?」
「もっと具体的に」
「そうですね……管理ツール系は得意です」
「ふーん、なに使ってるの?」
「基本、エクセルですけど。資格持ってます」
「エクセルって管理ツールじゃないけど。。。関数とかマクロも行ける?」
「それが仕事ですんで」
「あ、そうなんだ、誰にも負けない?」
「負けません」
「じゃあ、それをGiveしよう。企画が得意な人って、パワポは得意だけどエクセルが苦手というか、たいてい細かいことは苦手なんで。まずはそこからかな」
「え?それで世渡り上手に?」
「いや、それは正直わかんないけど、世渡り上手になりたいなら、まず世渡り上手を知ることから始めないと。選択権は向こうにあるんじゃない、こっちにあるんだよ、まずそう思わないと」
「おお、なるほど」
解決……したのかどうか良くわかりませんでしたが、
その知人はこの回答にいたく感動し、心が軽くなったようでした。
いきなり始まった雑談みたいなものでしたが、
あまり考えたことのない内容で、
私自身、ちょっと印象深いエピソードになっています。
どんなに要領のいい人であっても、
意識的にしろ、無意識的にしろ、
Giveのための能力を持つために、地道な努力はしているものです。
その地道な努力を、どう活かすかを考える、
これはとても大切なことであると思いました。
そんな私は、というと、
物事にプライオリティをつけていくのは構造的に好きですし、
比較的、得意な方だと思いますが、
「世渡り上手」かと言われると、かなり微妙です。
検索中に見つけた、
『世渡り診断』
なるものをやってみたところ、こんな診断結果でした。
・世渡り上手度 66%
・明日は明日の風が吹くタイプ
(感性で生きているので世渡りが上手いとか下手とかどうでもいい人)
……………………………………。
ちょっと馬鹿にされているような気がしないでもないのですが。。。。
かなり論理的に物事は考えていますよ、これでも。
でもまぁ、60%以上あるから個人的にはOK!
きっといけます、世渡り。