クロニクル「インターネット業界10年史」 ~まるでビッグバンのように、超高圧な一点の意志からその広大無辺な市場は生まれた~

投稿者:小川 悟

2008/02/25 01:03

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「今、社会に新たな情報革命が起きている。そのことに早く気が付かなければならない。多くの大人達はその変革が分からないものだから、とりあえず否定するという態度を取ることが多い。産業革命にしても明治維新にしても、過去の革命は常にそうだった。だからどうしてもこの革命はみんなの力で成し遂げたい」

/2000年2月2日、東京・六本木「Velfarre」での孫正義氏のスピーチ ~『ビットバレーの鼓動』(荒井久著)より~

 

先日の2月20日、電通から「日本の広告費」が発表されました。

 

cf.2007年の日本の広告費は7兆0,191億円、前年比1.1%増(電通)

http://www.dentsu.co.jp/news/release/2008/pdf/2008008-0220.pdf

以前、本コラムにて、「日本の広告費(2006年度)」を引き合いに出したことがありました(詳細はコチラ)。

 

この度、ようやく2007年度版が発表されたわけですが、インターネット市場の伸び方には目覚しいものがあります。マスコミ基本4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)が3年連続で前年を割ってきている中、ネット広告費は前年比24.4%増という躍進ぶり。この業界にいる身でこうした内容を書くと手前味噌な印象を受けられるかと思いますが、なるべく客観的に2008年までのインターネット業界における10年間を振り返ってみたいと思います。まずはその前に、雑誌についての覚書として。

 

昨年2007年は雑誌広告の出稿高がインターネットのそれに追い抜かれるということで、「出版界の2007年問題」と言われたこともありました。

記憶に新しい、雑誌『主婦の友』の休刊(5月発売の6月号をもって休刊)のニュース。また、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)と迷って、毎年どれを買うか悩ませていた『イミダス』(集英社)と『知恵蔵』(朝日新聞社)も2007年度版をもって休刊、インターネット黎明期から刊行を続けたインプレスの『インターネットマガジン』が休刊となったのは2006年のことでした。

 

cf.インターネットマガジン バックナンバーアーカイブ|検索|All-in-One INTERNET magazine 2.0
http://archives.impressrd.jp/im/

 

これら老舗雑誌休刊、出版社・書店廃業の背景には、インターネットの台頭により雑誌広告で以前までのように広告スポンサーが取りにくくなったマクロ的事象もあるのでしょうか。この『主婦の友』は、1917年(大正6年)の創刊以来91年を経た老舗雑誌の休刊であり、感慨深い印象を受けた方も多いことかと思います。古き良き時代の人々の生活を照らし出した雑誌として私が知るものは、故花森安治氏による『暮しの手帖』くらいになってしまったのではないでしょうか。

かつて『暮しの手帖 保存版III』と、『花森安治の編集室』(唐沢平吉氏著)を読んだことがありました。この『暮しの手帖』――常に生活者の側に立った誌面構成を貫き、「商品テスト」と題して時代を支配した時のメーカーを敵に回し、「広告の一切ない雑誌」という雑誌としてはあり得ないコンセプトを掲げた雑誌――、私たちも言わば「ものづくり」に携わる身という認識もあって、雑誌づくりの作り手としての編集長・花森安治氏という人となりに興味がありました。

もともと興味をもったきっかけは、故山本夏彦氏のコラムからでした。2006年には共著もある演出家の久世光彦氏もお亡くなりになられ、『『室内』の52年―山本夏彦が残したもの』などを買い求めては、私の生まれた昭和という時代についてを深く調べたい衝動に駆られたものでした。その一連の流れの中で、花森安治氏という人物に興味を持っていきました。

暮しの手帖社の共同創業者である大橋鎮子氏のエッセイ集、『すてきなあなたに』シリーズを初めて読んだのが学生時代。それまでは世界の冒険小説やサブカル系読み物にはまっていて、世界の名作文学といってもよく言ってプラトニックというか、読んでいるこちらが呆れるくらい自己陶酔型の艶恋沙汰について書かれた一部のフランス文学の類にも辟易し始めていた時期とも重なり、その頃はちょうど日本の四季や自然、風流をたしなむようなその素朴なエッセイのスタイルに、荒廃した心の癒しを求めていた時期でもありました。

 

そんな私の学生時代ですが、実は今から10年前の1998年という年は、私が大学を卒業した年でもあります。よく十年一昔と言いますが、振り返ると長かったようであっという間の10年間でした。

1998年 Windows98発売。スタンフォード大学の学生、Larry Page氏とSergey Brin氏が「Google」設立。

 

1999年 元リクルート勤務で『iモード事件』の著者、松永真理氏が「iモード」を開発、NTTドコモでサービス開始。

 

2000年 「Amazon.co.jp」サービス開始。六本木ヴェルファーレにて渋谷ビットバレーの会合「Bit Style」がおこなわれ、多くの起業家の卵が集結し、その模様がニュースで放映され話題となった。

 

2001年 Windows XP発売。「ブロードバンド」が新語・流行語大賞受賞・2001年トップテン入賞。インターネット博覧会(インパク)開催。日本政府による「e-Japan戦略(電子政府構築計画)」構想発表。Yahoo! が「ビジネスエクスプレス」サービス開始。

 

※ちなみに当社、株式会社フリーセルの設立はこの年です!


2002年 米Overtureが日本進出。米Yahoo! が検索エンジンの米Inktomiを買収。Googleが「アドワーズ広告」サービス開始。(旧)ライブドアが民事再生法を申請。

 

2003年 ブログブーム到来。米Yahoo! が米Overtureを買収。楽天がインフォシークとライコスジャパンを吸収合併。

 

2004年 パケット通信料金定額制スタート。イー・アクセスが「イー・モバイル」設立。Yahoo! が「YST(Yahoo! Search Technology)」を開発・発表、Googleとの提携解消。GREEアルファ版サービス開始。mixiがベータ版サービス開始。

 

2005年 個人情報保護法施行。先述の「YST」がYahoo! Japanにおける検索結果へ反映。電通、「日本の広告費」(2004年度版)を公開、インターネット広告がラジオの出稿高を追い抜き第4のメディアに。

 

2006年 (新)ライブドア、証券取引法違反容疑で本社を東京地検特捜部が強制捜査。

 

2007年 2007年問題。Windows Vista/Office2007発売。

 

2008年 電通、「日本の広告費」(2007年度版)を公開、インターネット広告が雑誌の出稿高を追い抜き第3のメディアに。

 

上記年表の中で、今回は2000年に着目してみたいと思います。

2000年は私が生まれて初めてパソコンを手にした年で、自宅で電話線を用いて初めてインターネットに接続した思い出の年です。仕事から帰ると毎日のように接続していたので電話代がぐんと跳ね上がって驚いたものでした。しばらくしてNTTが「フレッツISDN」という定額制通信をスタートさせた際は早速申し込んだものでした。電話しながらインターネットができるようになり、なんて便利な世の中になったのだろうと感動していた頃でした。

 

その時代のホームページって、一体どんなデザインだったのだろう?と興味を持たれる方や懐かしがられる方も多いと思うのですが、そういったときに役立つのが、Internet Archiveというサービスですね。任意のURLを入力して検索するだけで、このサイトが集めた過去のキャッシュデータを閲覧することができます。当時はまだブロードバンド登場前、ナローバンドの時代です。ホームページを作るときも1ページあたりの容量などが、かなり気にされていた時期でした。

 

また、別の側面から見てみると、世の中的には「ミレニアム」「2000年問題」が騒がれた時期ですが、90年のバブル崩壊から”失われた10年”を経て、ただ漠然と明るいニュースはないものかと期待していた世紀末でもありました。その後、99年のヤフー株高騰を頂点にIT関連株が軒並み続落し、「ITバブルの崩壊」という言葉もよく耳にした時代でした。

 

そんな時代に、日本でインターネットの有する可能性に挑戦した人たちがいました。98年に渋谷区松涛にベンチャー企業ネットエイジを設立した西川潔氏は、自社サイトに掲載していた「週刊ネットエイジ」に以下のように書いたそうです。

 

「週刊ネットエイジの皆さん、本号はきわめて重要な配信となります。なぜなら、ここから日本のインターネット界にひとつのムーブメントを起こすことになるかもしれないからです」(1999年3月,「Bitter Valley構想宣言」)

/『「シブヤ系」経済学 この街からベンチャービジネスが生まれる理由』(西村晃氏、八田真美子氏著)

 

この一つの火種が後に大きな爆発を起こします。

それが、2000年2月2日に東京・六本木Velfarreで開催された、渋谷発のネット系ベンチャー企業と起業家の卵たちによる会合「Bit Style」です。そのときの模様の一部が、貴重な映像として残っていました。 

 

cf.起業家たちの梁山泊「ビットバレーが燃えた夜」
http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_02_09_1/content.html

 

冒頭に挙げた孫正義氏は、この会合のために3000万円をかけてチャーター機で駆けつけたといいます。また楽天会長兼社長の三木谷浩史氏や、モバゲータウンを運営するディー・エヌ・エー代表取締役社長の南場智子氏なども参加されていました。

 

ネット業界では、孫正義氏(1957年生まれ)や先の西川潔氏(1956年生まれ)の世代を「第1世代」、三木谷浩史氏(1965年生まれ)や南場智子氏(1962年生まれ)の世代を「第2世代」、99年に有限会社イー・マーキュリー(現・株式会社ミクシィ)を設立した笠原健治氏(1975年生まれ)やGREEを開設した田中良和氏(1977年生まれ)の世代を「第3世代(ナナロク世代)」と、生まれた世代によってネット起業家を区別して呼ぶ言葉があるようです。

 

ちなみに、マイクロソフト会長ビル・ゲイツ氏やアップル最高経営責任者スティーブ・ジョブズ氏、Google会長兼最高経営責任者エリック・シュミット氏、1990年に今のインターネットの原型となった「World Wide Web」(WWW)を考案したティム・バーナーズ=リー氏などは1955年生まれ、オライリー・ジャパン(オライリー・メディア)でもおなじみの「Web 2.0」の提唱者ティム・オライリー氏は1954年生まれです。

 

cf.Yahoo!辞書 – ナナロク世代
http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2006000123

 

この時期、既にインターネットは一つの産業となり得る可能性を大いに秘めていたのだと思います。

 

2000年の「日本の広告費」におけるインターネット広告費は、2年連続伸び率200%以上の伸びを見せて590億円に達しましたが、その後わずか7年で10倍以上に成長した市場でもあります。すべて最初は何もなかったところから――あるとすればそれは「意志」だけだったのかもしれませんが、強い意志が集結した結果、今私たちが享受しているインターネット上の便利なサービスは生まれ、進化の歴史に付き物の淘汰を繰り返しながら現代という環境に適した産業が築き上げられてきました。

 

cf.電通、「平成12年(2000年)日本の広告費」を発表(2001年2月15日)
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2001/20010040215.html

 

それから後も、こうした可能性にリスクを取って挑戦を続ける人たちが続き、さらなる可能性を模索しながらこの市場は拡大を続けていっていると感じられます。

各社シンクタンクが未来予測している市場の膨らみに併せて当社も、また当社がWebコンサルティングを手掛けるお客様も共に成長していけたらと、一層精進して日々の業務に取り組んでゆく所存でおります。