「他責」から「自責」への考え方のシフトで課題発見力を養う ~政権交代という転換期、大局観を持って変化に順応する~

投稿者:小川 悟

2009/08/30 23:44

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「民主党が政権を担える政党にならなければ、新党の可能性は再び浮上するでしょう。そもそも二大政党制といっても、本拠のイギリスですら自民党という第三党がある。二大政党が完全に信頼されているわけではないのです」

/『松下政経塾とは何か』(出井康博著)

 

2009衆院選、今日は投票に行ってきました。

冒頭で、ふと思い出したかのように松下政経塾に関する本書から引用したので、何か詮索される方もいらっしゃるかと思って先に弁明しておきますと、私には特にこれといった支持政党や特定の思想は持ち合わせておりません。もちろん国政に無関心というわけではないのですが。

 

さて、タイトルに掲げた「大局観」。ネットで意味を調べると、「物事を俯瞰して全体像をつかむ能力のこと」といったように説明されています。

 

cf.『アメリカを救った人事革命 コンピテンシー』や、「ASTD(American Society for Training and Development,アメリカ人材開発協会)」について触れたコラム

 

今回のコラムでは、この度の衆院選において野党第1党が単独過半数での政権交代は現憲法下では初めてと言われる時代の転換期に、「大局観」を持って変化に順応する重要性のようなものを感じたので、書き留めておきたいと思います。そういう意味においては、今回の衆院選は私にとってはある種の成長を促してくれたのかもしれません。

 

先般、弊社社長の木村が大変な時代とコラムに書きました。言われてみれば、確かに「大変な時代」だなと思います。私の周辺では、日々忙しく仕事に忙殺されることもしばしばではありますが、ふと、休みの日にテレビなどを見ていると、「忙しくしていても、そうでなくても、人生に満足しているとは言えないような人」を見かけることがあります。私も人間ですので、疲れが溜まってきていてプライベートな時間が取りにくいと、「仕事が忙しいことを不満」に感じることもあるのですが、「仕事がなくて不安」に感じている人や経営者様のことを思うと、「自分は恵まれている方なのだな」といつも思ってしまいます。

 

私は自分の貯金を資本にして会社を起こした経験はありませんが、父が自営しているので幼少時代から経営者のメリット・デメリットを聞かされてきました。父はよく、冗談ともつかず、自身の仕事を「斜陽産業」と称し、私には「継ぐ気はない」と小学生の頃から言い続けてきました。今になって父の仕事の同業の方が2代目に引継がれ、この未曾有の大不況の中、それこそ選挙で言えば、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」のないような状況に陥って、厳しい状況に置かれている2代目社長の方の話を聞くこともあります。経営がうまくいかないのは経営者が悪いのか、働いている人が悪いのか、 それとも政治が悪いのか――。それはきっとケースバイケースなのでしょうが、その後、幸せになる人もいれば不幸になる人もいるのは現実にありました。結局、何が悪くてもいいのですが、自分はどうなりたいのか、何をしたいのか?といった考え方は持っていたいと思いました。私のような凡庸な者ではこのような難題を解くことはできませんが、その代わり、バカの一つ覚えみたいに自分で好きになって留意している考え方があります。

 

それは「他責で考えず、自責で考える」というものです。「責任力」と同義であるかは分かりかねますが。簡単に言えば、何か悪いことが生じた際に、「自分にも原因があるのではないか?」と考えることです。メンタルヘルス的な側面から見れば、その考え方が良いものかどうかは分かりませんが、自分には随分とフィットする考え方だなと思っていました。

 

先の例で言えば、経営がうまくいかないのは、どのくらいのシェアを占めているかは分からないが、自分の行動にも遠因しているのではないか?という考え方です。

自分にもっと能力があれば、行動力や決断力があれば、もっと広く俯瞰して先を見越せるだけの先見の明があれば、といった具合です。ちょうど大型船が、暗礁に気付くのが遅れて座礁することがあるように、「舵を切るのは誰だ、もしくは暗礁を見張るのは誰だ、暗礁の存在を知らせるのは誰だ、そもそもその役割を決めるのは誰の仕事だ」と考えてゆくと、自身がまったく関わらない航海というものはあり得ないと思っています。

仕事もきっと同じで、そこで働く皆が少しずつでも関わりあって、「会社」という「社会」が築かれているのだと感じます(cf.「石垣論」/日比翁助)。

そして、会社に限らずその小さな社会が集まって「国家」を成しているのだと考えれば、より一層、社会における自身の座標軸を認め、役割期待を上位のものに磨き、目標を高く持ち、自身の為すべきこと(課題)を多く発見していかなければならないと思えてきます。

「情けは人のためならず」、そしてそれは、きっと自分にも返ってくる因果ではないかと思います。選ばれた天才であればもっと要領の良いやり方ができるのでしょうが、凡庸な今の私にはそのような取り組み方が合っているのだと認識しています。

 

さて、ここで先の衆院選ですが、今もテレビでは開票が続き、ほぼ民主党の圧勝で終わることが見えてきています。麻生首相は「自民党に対する積年の不満をぬぐい去ることができなかった」と述べています。

私とは、置かれた立場や考えなくてはならない影響範囲はまったく違いますが、「信頼の積み重ね」という本質の重要さを痛感しました。「誠意」とも読み替えることができるかもしれません。政治でもそうかもしれませんが、ビジネスでも個人にでも当てはまる本質だと考えます。

一時、政治が混迷、複雑化し、投票率が下がった時期もありましたが、近年投票率は高まってきていると聞きます。投票前には、テレビでもネットでも民主党優勢で、ネット全盛のこの時代、「バンドワゴン効果」(cf.「バンドワゴン効果(Wikipedia)」)もより一層働くだろうと思っていました。誰しもが始まる前から分かっていたような結果だったようにも思いますが、今後の政治にも関心を持って、局所的に成果を捉えるのではなく、大局観を持って見定めるのも国民の義務ではないのかなと感じました。

自民党の票が民主党に流れたとも言われていますが、多くの人はその期待した成果をどのくらいの期間で成し遂げることを望んでいるのだろうか、とふと疑問に思いました。フィリップ・コトラーの「Customer Delight」(cf.「カスタマ・ディライト(@IT情報マネジメント用語事典)」)によれば、顧客の期待よりサプライヤーのパフォーマンスが低下した状態では「顧客不満」になると説いています。

国民の期待が、民主党の掲げたマニフェストや政策を迎合した根拠にもとづいていれば志(ビジョン)が同一なので支援に回ると思いますが、反自民党の思いだけが強過ぎる場合には、政権交代前の首相交代のときのように期待の裏返しで不満と出る懸念も考えられそうです。

 

人は誰でも、自らの思想を意識することによって行動する。しかし、そういわれても腑に落ちないと思う人は多いであろう。そういう人は、時流に従って生きることになる。したがって、絶えずその時々の思潮をみていなければならず、せわしない。だが、自らの生き方の失敗を時代のせいに出来るという利点もある。世の不平不満家は、おおむねそうした生き方をしている。

/『新時代の創造 公益の追求者・渋沢栄一』(渋沢研究会編) 

 

シニカルな考え方だと言われればそれまでですが、今までの歴史を振り返ってみても、どんな政治だって、憲法だって法律だって、そういったものがあるお陰で、日本だけでなく世界に生を受けているすべてのものにとって、都合の良い社会なんて存在し得たことはありませんでした。

結局重要なのは、国民それぞれが自身の役割を知って、それを全うしようと誠意を持って努力することが重要なのではないかと考えます。

 

身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置(とどめおか)まし大和魂

/『吉田松陰 留魂録』(古川薫全訳注)

 

最後になりますが、今から2000年前くらいに、「運命は、志あるものを導き、志なきものをひきずってゆく」と言ったローマの哲人セネカの言葉もありますが、時代の潮流を受け止め、今どうあるべきかを考え抜き、大変化に順応しつつ、自身の課題を発見・設定し、それを一つひとつクリアしてゆくことが、今の時代に求められているのではないかと考えた良い契機となりました。

自身・自社に課題点が見つかるということは、それだけ成長の余白があるということ。課題が見つからないという人は、是非自身の中にうまくいかない原因を探ってみても良いかもしれません。