「第2回 Web2.0マーケティングフェア」出展を終えて ~出展裏話、見えない利益を創出する~
投稿者:小川 悟
2008/05/17 14:24
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――どんな困難に直面しても、秩序と熱心と勇気をもって当たれば、切りぬけられないことはないのである。とくに、次のことを忘れないでいただきたい。スルーギ号で難船した少年たちは、きびしい生活の苦労のなかで、さまざまな試練にきたえられて、国に帰ってきたときには、下級生はまるで上級生のように、上級生たちはまるで一人前の大人のようになっていたのである。
/『十五少年漂流記(二年間の休暇)』(ジュール・ヴェルヌ著,旺文社文庫)
先日14日~16日の期間、東京ビッグサイトで開催されていた「第2回 Web2.0マーケティングフェア」にブース出展をし、当社提供サービスの要であるWebコンサルティング事業のご紹介をしてきました。
■【プレスリリース】 「第2回 Web2.0マーケティング フェア」出展のお知らせ
http://www.freesale.co.jp/company/news/pressrelease/2_web20.html
私は急務が入ったため、お取引先様の一社と会場で待ち合わせがあった15日しか視察に行けなかったのですが、当社の3人の役員はそれぞれ日を分けて視察に行っておりました。実は、当社がこうした企業間取引や商談を目的とした大規模な展示会にブース出展するのは初めてのことでした。
ただ、当社の創業期から続けていて、今も主力の事業となっている「歯科タウン」事業推進を目的として、日本顎咬合学会の賛助会員を務めさせて頂いている関係もあって、以前から当学会主催の総会や各スタディグループ主催の勉強会へはブース展示や取材等でお伺いさせて頂いていたことはありますので、ブース展示に対して全く初めてという印象はありませんでした。
出展前日の夜遅くまで準備に時間がかかりましたが、初日14日の午後に出展担当者から入った業務連絡では、大変多くの来場者があり、当社のブースへもたくさん訪れて頂いているといった内容で、ほっと胸をなでおろしました。
当社ブースへご来訪頂き、アンケートへお答え頂いた企業様には、当社が監修した『「Webコンサルタント」という選択』という書籍を配布させて頂きました(cf.「『「Webコンサルタント」という選択』発売に寄せて(前編) ~3S(単純化・標準化・専門化)の重要性を知る~」)。
この期間中、当社ブースへお越し頂き、スタッフの説明に耳を傾けて頂いた社長様、ご担当者様にまずはこの場を借りて御礼申し上げたいと思います。
この展示会に関しては、CS部がメインとなって準備を進めて参りました。私の立場上、本コラムではその準備にまつわるエピソードをご紹介したいと思います。
今から1年前、ちょうど「第1回 Web2.0マーケティングフェア」が開催された時期に、私は本展示会に部内から数名の社員を視察に行かせる許可を上長へ嘆願しました。
当社は今年4月に第8期を迎えていますが、数年前から売上・業容拡大が起こった関係で社歴の浅い者も多く業界経験者も多くはありません。しかしCS部は大きく生産管理部門と制作部門を抱える「ものづくり」を主とした部門ですから、今後の体制強化をイメージした際に帰属意識や業界知識に不安があり、当社の常識の範囲内で物事を捉えてしまう部員を増やしたくなかったのと、何よりそうした鎖国状態に陥ることがどれだけ会社の成長を阻むものか危惧していたこともあって、まずはこうした大きな舞台を実際に目の当たりにしてきてもらいたかったという気持ちがありました。
実際に視察に行くことが決まった“使節団”に対しては、せっかく仕事の時間を使い、他の皆が業務に追われているなか行くのだから、有意義に過ごして多くの見聞をしてくるよう伝え、部内共有を目的としたレポートの提出義務を課しました。
実際に視察に行った部員からは約束どおりレポートは提出されたのですが、必ずしもその内容は当初私が期待したとおりの内容ではありませんでした。「思ったより役立ちそうな商品はなかった」、「うちとはあまり関係ないサービスが多かった」、「あのようなサービスって、ニーズはあるのでしょうか?」――、そんな否定的な内容ばかりが目立ち、一体何を見に行ってきたのだろうか、これがCS部の有する感性やリテラシーの限界なのだろうか、と気分が塞いだものでした。
そんな折、当社専務から、「来年のWeb2.0マーケティングフェアには出展してみれば?」と声を掛けられました。正直、嬉しさと戸惑いの入り混じった気持ちでいました。
当社の最大の強みは営業力です。80名の営業マンが日々新規の企業様を訪問し、PUSH型の営業活動を続けており、毎日のように受注自体はあがってきます。
ですので、特にこうしたPULL型のブース展示といった広告手法に依存しなくても、会社としてはまったく問題がなかったのです。昨今、こうしたPULL型の動きを強めている最中ではありましたが、むしろ「選択と集中」といった側面からも、ブース出展における社内的なモチベーションを引き出すことは難しいだろうと考えていました。
また、私は営業部門の者ではないので、「これで受注機会が増える!」といった気持ちはなく、コストセンター部門を見る者として、「これで部員の士気向上、リテラシー強化に繋がるかもしれない!」といった感想を抱きました。反面、今の部員でブース展示などをしても、売上増やブランディングどころか、恥をかくだけではないだろうかといった思いもありました。私は至急、優秀な課長を集めて何とかブース展示を成功させるためのアイデアを募ろうと考えました。
そこに専務から、「課長が先導してブース出展しても意味ないよ、そんなのうまくいって当たり前。むしろ一般(当社では、リーダー職に就かない職位の呼称)の人たちに機会を与えてあげなきゃ。どうせお金をかけてやるのであれば、多くの失敗をして学んでもらった方がよっぽどいいよ。頑張ろうとしている部員に口を挟んでおいしいところだけ取っていかないように」と釘をさされました。
「失敗学」という言葉があるのは知っていましたが、あくまでもそれは努力の末の結果論であるものとしてしか実感がわかず、実際に自分が責任者として持たされるプロジェクトを、初めから失敗させることを前提に始動させることには正直気乗りがしませんでしたが、そういった背景も含めて、各部門の課長には日々の業務が忙しい中、ブース出展のためにかかる部員の工数調整を協力してもらえるよう臨時に開催したミーティングにて一連の内容を報告しました。
そうして、リーダー職に就く者が一切メンバーに含まれない十数名の臨時プロジェクトが結成されました。その名も「EXPOプロジェクト」。
参加メンバーは、各チームから1名ずつを目安に、立候補者から選出してもらいました。私の見るCS部は、当時全部で6課(現在7課)あり、課内でさらに幾つかのチームに分かれています。CS部と一口に言っても、チームによっては求められる職能や目的も異なり、普段はあまりチーム間同士で干渉の少ないチームというのもありましたので、この機会に他チームの仕事を知ってもらうのと、互いに有する職能を武器に協力し合う体制が作れればよいかと考えたためでした。そうしたら意外にも各チームから立候補者が多く、「船頭多くして――」という言葉もあります、「組織は筋肉質で、かつ柔軟である方が良い」と思っていましたので、プロジェクトとしては人数が多過ぎて中身が薄まることを懸念しましたが、現在80名体制(2008年5月15日時点)となったCS部の状況ともかぶるかもしれないと見方を変えると、逆に面白いとも思いそのメンバーで承認しました。
プロジェクト結成後、初回の臨時ミーティングにおいて、今回のプロジェクトの主旨と細かな注意点を述べた後は、専務の助言に従い自由にやってもらうことにしました。
ところが、最初のうちはミーティングをおこなっても同じような話が巡り、結局は結論が出ないまま終わるといったような、典型的なファシリテーター不在のブレーンストーミングが繰り返されており、思わず、「自分と連絡を取ってくれるリーダーを選出して欲しい。ミーティングの開催頻度は?召集通知は誰が行うのですか?議事録の格納ディレクトリはどこですか?毎回ミーティングをするときは目的を明文化しておかないと、どんどん話がぶれていっちゃうよ。予算とスケジュールはいつ頃出ますか?何でも自分中心に考えないでよ、ステークホルダーを明確にして、ニーズを予測した上で、役員や営業を巻き込むような案を出さなきゃ支援も評価も得られない。みんなの努力は、会社にとっての時間とお金の無駄になってしまう」と、口を挟んでしまいました。どこまで言ってよいものか分かりません。
しかし、意外にも回を重ねるごとに、特段私が何か言わなくても、自然と報告があがってくるようになりました。また、会社の規定上で、メンバーの決裁権限を越えるものの判断を仰ぐときくらいしか相談が来なくなりました。リーダーがうまくまとめてくれているのだなと安心しました。
ときどき様子見にミーティングに参加してみると、思った以上に皆意識が高く、熱心に楽しそうに議論しているのを見て、もう完全に任せてしまおうと思いました。私はただ、彼らからあがってくる報告を、各メンバーの上長である課長へ展開し、常に協力体制を維持してもらうために情報共有を図ることだけに専念しました。
「プロジェクトを任される」ことは、こんなにも人を成長させるのか、と改めて納得しました。そんな時期に書いたコラムが以下でした。
■cf.「故黒木靖夫氏と”クリエイティブ”に対する私の思い」
http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2007/10/post.html
まったく勘違い甚だしく、恐縮ではあるとは思いながらも私の中では勝手に、故黒木靖夫氏がかつて牽引したプロジェクトを妄想していました。
プロジェクトメンバーは、ただでさえ日々の業務が忙しい中、他の皆よりも遅くまで残って何やら各自に割り振られたEXPOプロジェクトに関する作業をおこなっていました。なかには土日に自宅に持ち帰って制作するものもいました。これはひょっとしたらうまくいくのではないか?といった期待感さえありました。
幸い大きなトラブルもなく、プロジェクトは進んでいきました。
その過程の中で、ミーティングの質や精度の向上、営業部をはじめとする他部門への説明会開催、稟議書の申請の仕方、予算管理のための出納帳管理、各種備品の発注、スタジオでのクロマキー撮影、ナレーション原稿の作成、DTP制作等、各自が普段は担当しないような仕事に多く携わり、会社の仕組みや方向性について理解を示してゆくようになりました。
昨晩16日の夜は、プロジェクトメンバーたちが打ち上げをおこなっていました。
私も2次会の途中から参加しましたが、皆一様に意識が高く、前向きな発言ばかりが出ていました。逆に先輩たちが押され気味になるような場面さえ見られました。本当にこの一年、お疲れ様でしたと言ってあげたい気持ちです。1年先のことなんて誰も想像できない筈で、特にリーダー職に就かない人にとってみれば、何も見えない状況だったと思います。
会社から与えられたものは、出展機会と各種承認行為、限られた予算、少しの助言のみで、あとはすべて彼ら自身で築き上げた実績です。本当に成長した一年だったと思います。当社の企業理念・行動指針にもある「常に現在の自分以上の自分になり続けます」を全うできたのではないかと思います。
最後に、冒頭に掲げたエピグラムの補足となります。
私は幼少時代からジュール・ヴェルヌの作品が好きでした。密航を企て親に怒られた少年時代のジュール・ヴェルヌが、「もう空想の中でしか旅をしない」と誓ってから、次々と編み出されていった冒険小説の数々は、どれも想像力に満ち溢れ、単にエキサイティング・スリリングな冒険小説というだけでなく教養小説としての側面もあり、ヴェルヌ作品を楽しんでいました。
以前、東京・上野にある国立国会図書館 国際子ども図書館で、「未知の世界へ -児童文学にえがかれた冒険-」というタイトルの、国内外の冒険小説を集めた展示会が催され、私も赴いたものでした。
そこで、以下のような内容が書かれたフリップが掲げられており、その内容に当時いたく感銘を受け、今ちょうど思い出したので引用して今回のコラムを締めたいと思います。
子どもたちにとって宝は必ずしも金品とは限らない。また宝探しが、徒労に終わることも多い。しかし、子どもたちにとっては、宝を探している間の、ともに知恵や力を出し合って過ごした時間こそがかけがえのない宝なのである