WWW20周年、注目されるインターネットビジネスだからこそ、しっかりとした情報発信を行いたい
投稿者:小川 悟
2009/03/21 12:09
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実は三浦守社長(現・東急百貨店会長、東急文化村社長)から「これは複合文化施設をつくるのではなく街づくりなんだぞ」とおどかされたのだ。
/『文化を事業する』(清水 嘉弘著)
いよいよ、当社第8期の決算期末月を迎えました。各部課では、期初に掲げたゴールビジョンに向けて最終調整に入っている時期にあたります。
インターネットは他の業界に比べて、その誕生から見ても、比較的若い業界です。法的に見ても、暗黙のルールから見てもまだまだ発展途上であり、自由な反面、どのようにすればクライアントにとって、消費者にとって良いものになるのかは手探り状態なのです。私が所属するCS部でも、まずは社会に約束できるくらいのしっかりとした生産体制で、しっかりとした成果物を仕上げたいという気持ちで、この1、2年をひた走ってきました。もちろん今期のゴールビジョンは、完全な完成形を迎えるというわけでなく一つの通過点でしかないのですが、もの思うことについて少し書いてみたいと思います。
さて、2009年3月、当社本社がある東京都渋谷区には、東急百貨店本店があります。私事ではありますが、私はよく併設のBunkamura「ザ・ミュージアム」に足を運ぶことがあります。このミュージアムなどを含む複合文化施設「Bunakmura」は今年で20周年ということで、記念サイト(「Bunkamura 20周年記念サイト」)を開設されていました。私たちが渋谷の街を歩くとき、いちいち通り名などを気にすることはあまりないと思うのですが、今でこそ「文化村通り」と呼ばれ、大型家電店やアディダス大型複合店など出店ラッシュが相次ぎ、今後も外資系アパレルや、ボーリング場やビリヤード、カラオケなどの複合施設の出店も検討されて賑わい、渋谷を代表するメインストリートの一つとなっているものの、先のBunkamuraが開業したばかりの頃はまだ知名度を得る前のことで「東急本店通り」と呼ばれていました。
その時代の、この渋谷という街を、かつて東急グループと西武セゾングループの二大資本が築き上げてきた経緯については、「福袋、百花繚乱 ~大手百貨店初売り開始、集客装置として”映像”という仕掛けを~」で書いていますので、よろしければご覧下さい。
ところで、私たちインターネット業界に属する者たちにとって、今年はもっと身近なもので20周年があります。それは、「WWW(World Wide Web)」の原型が、提案者であるティム・バーナーズ=リー氏によって発表されてから20周年であるのです。
■World Wide Web@20 (Web誕生20周年を記念したイベント「World Wide Web@20」のWebページ)
※ティム・バーナーズ=リー氏がかつて所属していたCERN(欧州合同原子核研究機関)のWebサイトで、「 http://info.cern.ch/ 」は、世界初のWebサイトとして1991年8月6日にアップされることになったアドレスです。
比較的理解しやすいコーディング・システム――HTML(ハイパーテキスト記述言語)を一般にひろめ、それがウェブの共通言語になった。ウェブのコンテンツを作成する者は、この色分けされてアンダーラインが引かれたリンクをテキストに挿入し、画像その他を組み込む。バーナーズ・リーは、ウェブページそれぞれに独特の位置――URL(統一型情報探索子)をあたえるというアドレス特定の仕組みも設計した。さらに、こうしたドキュメントをインターネット上のコンピュータを通じてリンクさせるのを可能にするルールを考案した。このルールをHTTP(ハイパーテキスト転送プロトコル)と名づけた。
/『フラット化する世界(上) 増補改訂版』(トーマス・フリードマン著)
今でこそ当たり前のようにインターネットを利用し、必然的に迎えられた情報化社会においてその必要性を享受し、またビジネスにも活用している私たちにとってみればまさに生みの父のような存在ですが、ティム・バーナーズ=リー氏の発明の何がすごいかと言うと、設計から最初の開放までをほぼ氏一人で行いながら、独占権を行使せず、世界中の人が自由に利用できることにしたことではないでしょうか。
氏のこうした根幹思想は、20年を経てようやくインターネット業界にも「オープン化」の動きに回帰することになりました。誰もがこの自由競争に参加できる権利を持っているからこそ安易なパテントビジネスの発想だけでは限界があるのがインターネットの特徴でもあると思いました。どんなにそのとき便利な発明品であっても多くのユーザーに利用され続けなければ、まさに「盛者必衰の理」を覚えざるを得ない、最も市場原理に直結したビジネスであると感じます。
この自由競争であるインターネットと違い、他社資本が参入しにくい業界があります。電力・ガス業界などもそうですが、同じメディアという位置づけで見ると、まずテレビ・ラジオといった放送事業業界があります。一昔前にライブドアがニッポン放送株を買収し、その子会社の位置づけにあったフジテレビを手に入れようとしたことがありましたが、時代を象徴する一つの事件だったように思います。他に新聞や出版といったメディアも、一部を除き株式を公開していません。アメリカでは新聞社も株式公開をしていることがあり、WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)紙の発行元だったダウ・ジョーンズが、ルパート・マードック氏率いるNews Corp.によって買収されたニュース(cf.「メディア王マードックが仕掛ける ウォールストリート・ジャーナル改造計画|ビジネスモデルの破壊者たち」/ダイヤモンド・オンライン)は記憶に新しいところですが、日本の新聞は株式を公開していないため、資本を持つ私企業に「言論の自由」や「独立性」を支配されにくい一方で、メディアとして独立した発展を遂げることになったのかもしれません。
少し前に発売された「週刊 東洋経済(2009年1/31特大号)」の特集は「テレビ・新聞陥落」というもので、「自動車全滅!」、「百貨店・スーパー総崩れ!」ときて、相変わらず煽動的な見出しでした。それを受けてか「週刊ダイヤモンド」では「電機全滅!」と、あわや日本を代表する産業は全滅か?とも思わせるような時期となりました。
cf.
・氏家齊一郎・日本テレビ放送網取締役会議長――テレビ広告はさらに減る、生き残るのは2~3社だ(1) (東洋経済オンライン)
しかしながら、新聞の販売部数や広告出稿高が伸び悩んでいるというニュースも同時に入ってくるのも事実です。前回のコラムの中でも少し触れましたが、電通の発表している「日本の広告費」の2008年版や日本新聞協会の「新聞広告データアーカイブ」に目を通してみても、例年に比べて純減していることが分かります。私がインターネット業界に属していることもあって多少バイアスがかかり、この要因の一部をインターネット台頭に求めてしまうことはあると思いますが、昨今感じる感覚としても、特に私たちがターゲットとしている中小・ベンチャー企業のインターネット広告に対するモチベーションは日増しに膨らんできているように思います。
私が大学の頃と社会人1年目の頃、もう今から10年くらい前になりますが、某大手広告代理店で営業アシスタントの仕事をしていましたが、 取り扱うメディアはテレビ・新聞・雑誌・ラジオがメインでインターネットの扱いはほとんどありませんでした。クライアント先へ月次でお持ちする報告書も、「放送確認書」や「視聴率・聴取率報告書」といった、インターネット業界で言えば「SEO・アクセス解析報告書」のようなものでした。それから10年を経て、インターネット広告が一般市場に占めるマインドシェアは確実に拡大してきると実感しています。
cf.
・「Yahoo! JAPAN」が日本の検索市場をリード――コムスコア調べ(japan.internet.com)
http://japan.internet.com/wmnews/20090311/8.html
・検索エンジン相関図 2009年3月版(αSEO)
http://www.alphaseo.jp/seo-report/090316_191001.html
上記記事には、Yahoo! JAPANで「2009年1月の日本における総検索回数は68億回」と書かれてあります。この日本のインターネット広告市場でほぼ独占的となっているYahoo! JAPANに、新聞社も頼らざるを得ない状況が訪れてしまったのです。
新聞社は当初、自社のクレジットが明記されたニュースを巨大サイトに提供することで存在感が高まり、紙の新聞の購読者が増えることを期待した。それは裏目に出た。「ニュースはタダ」という認識を若者、青年層に刷り込むばかりであった。新聞購読者が増えるどころか、新聞離れを助長させてしまった。
/『新聞・TVが消える日』(猪熊建夫著)
上記のような言及もありますが、今まで「情報は有償で配信するもの」というビジネスモデルを壊したのは、インターネットだけではないと思います。
M1層の本音が、だんだんとわかっていきました。実は彼らも新聞は読みたいと思っているのです。新聞くらい読んでいるとまわりには思われたいし、実際に読まないといけないと思っている。上司にも読め、読めと言われている。なので、頑張って読んでみるのだけど、ちょっと、というか、かなり難しいし、どこから読んでいいのかわからない。そもそも新聞って、こういうことは知っている、という前提のハードルが高くて、しかも使われている言葉や向かっている相手が、自分たちより年上になっている気がする。自分たち向けじゃないから、なんだかしっくり来ない。読んでみたいんだけど、やっぱり読む気がしない……。
/『「R25」のつくりかた』(藤井大輔著)
上記の中では、フリーマガジン「R25」のコンセプトとして「情報を無償で提供」はするものの、新聞や雑誌と競合関係になることではなく、むしろ情報に興味を持ってもらい、新聞も雑誌も読むように仕掛けることが狙いというようなことが書かれてありました。しかし、これはもともとの疑問が「M1層の”新聞離れ”」から端を発して行われた定性調査が元となっているために、今となっては当初考えていたコンセプトとは違う結果となったのではないかと個人的には思います。私は、M1層が離れたのは新聞そのものではなく、「情報が、新聞や雑誌という有償の紙媒体、もっと言えばあの形状、あの流通経路を通って手元にくるというビジネスモデル」から離れたのではないかと考えています。
情報がメディアに乗って海を越えてくるという、かつて19世紀に“情報の王様アヴァス”や、“新聞王ジラルダン”がもたらしたビジネスモデルは今、重要な転換期を迎えているのではないでしょうか。
cf.
・『新聞王ジラルダン』(鹿島 茂著)
・『「かの悪名高き」十九世紀パリ怪人伝』(鹿島 茂著)
・『ニュースの商人ロイター』(倉田 保雄著)
・『メディア文化論』(吉見 俊哉著)
・「産経新聞 iPhone版」に見る新聞の未来(ASCII.jp)
http://ascii.jp/elem/000/000/198/198899/
・日経、朝日、読売の「あらたにす」、無料iPhoneアプリを公開(CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20388070,00.htm
・クリスチャンサイエンスモニター紙が印刷版発行停止へ(世界日報社)
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/081030-143032.html
つまり、情報社会と同時にユビキタス社会でもある現代において、新聞が「いつでもどこでも、誰でも読める」ものになっていないというのが問題だと考えています。本書には「新聞より親近感、インターネットより信頼感」という項もあり、インターネットがいまだに信頼感に乏しい側面があることを書かれています。確かにそれは否めませんが、テレビの場合でも例の「あるある事件」の際に話題となった「電波料」といった既得権益のようなもの、新聞で言えば表立っては出てきませんが、「押し紙問題」(cf.『押し紙―新聞配達がつきとめた業界の闇』/森下 琉著)といった業界特有の暗部はあります。ビジネスに透明性を求めようと思っても限界はあると思います。私たちができることと言えば、この情報社会において透明性を発信できるためのモラルやリテラシー、スキルを身に付けていかなくてはならないし、まだまだ多く残る未整備な部分をガイドラインなどを策定しながら整備してゆくことが求められてくるのだと思っています。
ヤクルトを毎日届ける仕事をしている方々はヤクルトを届けているのではない。「健康」を届けている。ソニーのウォークマン開発者は携帯音楽プレーヤーを開発したのではない。「音楽と生活する世界」を開発してブームを創った。
/『リクルート式「楽しい事業」のつくり方 Hot Pepper ミラクル・ストーリー』(平尾 勇司著)
「石を積んでいるだけ」か、「教会を造るための作業をしている」のか
/『会社の品格』(小笹 芳央著)
私たちも、ただ単に「Webサイトを作っている仕事」をしたいとは考えていません。日本にある中小・ベンチャー企業がマスに向けて発信される情報を、切り口(STPマーケティング)、コンテンツ、デザイン、プロモーション等の側面からアドバイスし、より経営意図に近しい露出を図り、それを求める消費者とのビジネスマッチングを図ることを狙いとしています。その露骨なまでの市場原理・需給関係の先にあるものは、もしかしたら市場淘汰も待ち受けているのかもしれないですが、市場開拓・顧客創造に繋がる動きをフォローすることにもなるのではないかと考えています。私たちが存在しなければ生まれ得なかった価値――、付加価値を創造できる集団を目指して今期もあと少し、ひた走りたいと思います。