モバイルコンテンツ審査・運用監視機構設立に続き、青少年ネット規制法が可決成立 ~メディア・リテラシー教育の必然性~
投稿者:小川 悟
2008/06/30 00:57
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自らに受け入れやすい情報のみをとり入れるこの「カプセル」は、外界とを区分する壁になっているのみでなく、情報の処理において(1)外界からの明確な境界を形づくるバリアー、(2)フィルターの二つの機能をもっているということができる。そして単に情報を受け取るのみでなく、カプセル自身が情報を発信する機能をもっている。
/『若者論を読む』(小谷敏著,1993年) ※『コピー体験の文化』(平野秀秋、中野収共著,1975年)に触れて。
今月8日に秋葉原で起こった無差別殺傷事件は、本当に悲惨な事件でした。お亡くなりになられた方々のことや遺族の方をニュースで見る度に悲しい気分になります。心からお悔やみ申し上げます。
事件当日は、奇しくもあの7年前の池田小児童殺傷事件と同日のことでした。また、逮捕された加藤容疑者は、1997年に起こった神戸小学生殺害事件の酒鬼薔薇聖斗と同年代です。生まれた年代だけで一くくりにしようとするのは無理がありますが、神戸の事件との共通点を挙げるとするならば、共に“メディア”を介した屈折した自己主張を行い、無差別に凶行に及んでいる点かと思います。加藤容疑者はインターネットを介した予告の書き込み、酒鬼薔薇聖斗は地元新聞社に対する声明文を送り付ける行為により自身の透明な存在をアピールしました。こうした犯罪のことを「劇場型犯罪」と呼ぶそうです。
cf.【衝撃事件の核心】未熟、心の砂漠、軽さ、教育…秋葉原通り魔事件 識者はこう見る(下)(MSN産経ニュース,2008年6月22日)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080620/crm0806201821028-n1.htm
この事件以降、同じようにインターネット上の掲示板などに犯行予告をして、実際に逮捕に至ったケースが増えているそうです。「予告.in」という、インターネット上で書き込みされたテキストの中から特定キーワードを収集する機能で、犯行予告と思われる書き込みを見つけたユーザが通報できる仕組みを有したWebサイトがありますが、このサイト内の「逮捕者の記録」というコンテンツを参照すると、事件当日以降で既に30余名の逮捕者が出ていることが分かります。
インターネット特有の性質である匿名性や群集心理が、こうした後続の事件を誘発している可能性があると言われます。先の「劇場型犯罪」ではないですが、普段は目立たない人がネット上でハンドルネームを名乗った瞬間から、もう一人の自分になれるわけです。もちろんプロバイダを経由してインターネットに接続しているわけですから、基本的には接続元のIPを判別することは可能です。しかし、こうしたことをしてしまう人が後を絶たないのはどういうわけでしょう。携帯電話というウェアラブルな機器が普及することで情報のやり取りはより便利に、そして一層個人としてのメディア空間が形成されたわけですが、その分、個々を社会というネットワークから疎外し、孤独へと陥れる懸念要素も増えたのではないでしょうか。
インターネットや携帯電話(モバイル通信)を介して行われるコミュニケーションすべてが悪の元凶というわけではなく、あくまでもこうした事例はマイノリティなものではありますが、こうした便利な情報インフラ機器の普及と所有者の低年齢化、教育の不徹底とインターネット・リテラシーの低下、ときに”劇場”となり得ることもあるマスメディアなど、アフォーダンスが揃ってくると、第二、第三の事件を誘発する可能性がないとも限りません。
インターネット上のコミュニケーションは、元来高度なリテラシーが要されると思います。メールの文章表現一つとってみても、伝えたい意図とは裏腹に、相手に不快な念や不明瞭な印象を与えてしまうことだってあります。インターネットほど複雑な表現、多様なコミュニケーションが可能な手段、メディアは他にないと個人的には思うのですが、利用する人によってはそうしたツールを使いこなせずに、多くの情報伝達のための表現を「バカにされた」「いじめにあった」といったように、根源的な意味にまで単純化された記号として読み取っては不用意に傷ついたり、逆に相手を傷つけてしまうことがあるのかもしれません。
コミュニケーションが取れているようで実は全く取れていないということは、特に不特定多数の人同士が擬似的に結ばれる掲示板などでは大いにあり得るのではないでしょうか。それが日常のストレスや、情報機器を取り扱う上でのテクノストレスと合わさって、一層思い通りにいかない自分、理想の自分とはかけ離れた自分の存在を確認し、さらには他者からの忠告が届かなくなるという、マルチメディアであるにも関わらず、それだけに極端なワンウェイ・コミュニケーションが成立するという情報化社会特有の二律背反が発生する瞬間のように思います。
今月11日には、「青少年ネット規制法(青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案)」が参議院本会議で可決、成立しました。4月に「モバイルコンテンツ審査・運用監視機構」が設立した矢先のことでした。青少年ネット規制法を巡っては可決までに賛否があり、ヤフー、楽天、マイクロソフト、ディー・エヌ・エー(DeNA)、ネットスターなどインターネット系5社をはじめ、日本新聞協会なども表現の自由が阻害されると懸念を表明しているようですが、例えばディー・エヌ・エーで言えば、今では数百万人の会員を抱える「モバゲータウン」がこの法律をまともに受けたら影響は必至でしょう。今までのインターネット上の歴史を見てきても、悪意を持った匿名ユーザからの妨害を阻止することは難しそうです。既に24時間365日の体制で書き込みの監視をしているとのことですが、いつ誰がどこからやってくるか分からない個人ユーザをすべて監視し尽くすのは至難の業です。
また、 昨年の「Yahoo! JAPAN パートナーカンファレンス」でヤフーが公表した3つの方針――、すなわち「ソーシャルメディア化」、「エブリウェア化」、「オープン化」の中で、「ソーシャルメディア化」に関しては既にニュースページに「みんなの感想」などのコンテンツが設けられ、CGM(Consumer Generated Media)サイトのようにユーザが書き込んだコメントを共有することができる仕組みとなっています。ヤフーに限らず、先行して新聞社のWebサイトなどでは既に採り入れられていた手法で、今後外部サイトや個人ユーザとの連携を図っていこうと方針を打ち出していた企業にとっても懸念される話題かと思われました。
cf.【レポート】オープン化するYahoo!JAPAN (1) Yahoo!だけではもう無理だ(マイコミジャーナル,2007年6月16日)
http://journal.mycom.co.jp/articles/2007/06/16/yahoo/
プロバイダー責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律の概要)施行開始から数年、プライバシーや著作権保護のみならず、今度は有害サイトの閲覧制限のための法律まで成立する世の中で、思わず人間はどれだけ規約や制限がなければ生きてゆけない欲望の権化なのだろうかと悲観的になってしまいます。教育よりも規則が先行され、罰せられる側も「何故してはいけないか?」について理解するよりも前に社会から抹殺されてしまう統制的な社会が築かれていっているようにも感じます。
もちろん、先ほどから強調して述べている“教育”をおろそかに考えている人ばかりではないと思います。私の中学生の頃の担任教師が朝礼時に話した雑談で、いまだに鮮明に覚えていることがあります。
「よく試験前に、ゲーム機を持っていると遊んでしまうから捨てたといったようなことを自慢げに話す人がいるが、本当に優秀な人はたとえゲーム機が目の前にあったとしても、大事な場面では自分で状況を判断して触ろうとしないものだ」
――という内容です。当時の自分にとっては身近な話題でしたし、その後の人生の局面で迎える様々な場面でときどき思い返してきた言葉でもあります。
私たちはこうしたインターネットの世界に日々関わり、それを仕事としているわけですから、自ら研鑽に勤しむことはもちろんのこと、厚かましい表現となり恐縮ではございますが、当社サービスをご利用頂くお客様にとっても利用前には有していなかった何かしらの発見を得て頂きたいと常々考えております。